2007 05,08 23:45 |
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学生の頃、いくつかのエピソードを拾い読みした「大鏡」。本棚に埋もれていたのを何気なく手に取って読み始めたら、止まらなくなってしまった。
受験の頃にたたき込んだ古典文法、意外と忘れていないものだ。古文の調べは、なんとも言えぬ旋律を醸しだし、脳味噌に心地良い。それでも注を参照しながらだったので、読み終えるのに随分時間がかかった。 190歳の世継と180歳の繁樹の両翁が、雲林院の菩提講で久しぶりに出会い藤原氏栄華の昔話を始める。それを通りがかりの若侍が聴きながら時に彼も話しをする。それを作者である人物がそでで聞いているという設定だ。 紀伝体で書かれたこの書物は、初めに天皇の帝紀で登場する全ての帝を紹介する。その後に藤原氏の大臣列伝となるのだが、紀伝体なので同じ人物がいろんなところで登場して絡み合い面白い。 1000年以上も前の物語だが、そこに描かれる人間は、己の自我のために人を騙し、策略を練り、妬み、そして悲しむ。時に優しく可笑しく楽しいエピソードを絡めながら、天皇家に嫁を送り込み、我が世の春を謳歌する道長へと続いていく。 大鏡の登場人物への視点は、一方で厳しく冷たく見つめながら、一方で温かく人間的な面も見せる。人間を多面的にとらえ、有名なエピソードも様々な視点から描いている。 藤 原氏ならいいかといえば、さにあらず、同じ藤原氏でも、天皇家に娘を送り込まないと政権の中枢を握ることはできない。一条天皇の皇太子を退け自分の孫を天 皇にしてしまう道長、その退けた皇太子も自分の兄の孫、おまけに退けた皇太子に自分の第二婦人の娘を捧げる道長、なかなかすごい人物である。天皇家に生ま れても、有力な藤原氏の後ろ盾がない者は、早々に臣籍である源に下ったり、出家してしまう。 複雑にからむ人間関係、平安時代の貴族の生活、政権獲得のための策略などなど、人間は何千年と変わらぬ営みを続けているのだ。 読み応えあったなあ。 |
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