2007 10,08 21:34 |
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しのたかさんのお誘いで今日は、お能と狂言の観劇。会場には、かさんも。 僕、能も好き。最低限の舞台セットと登場人物で演じるその様は、落語同様シンプルだけれども、観る者の想像力をかき立てる。 舞囃子「巻絹」 田崎甫
狂言「三人片輪」 シテ石田幸雄、アド野村万作、野村萬斎、高野和憲 能「砧」 シテ田崎隆三、ツレ金井雄資、ワキ森常好、ワキヅレ舘田善博、アイ石田幸雄 狂 言の「三人片輪」は、タイトルそして内容といい、現在テレビで放映するのは難しいだろうな。狂言は、台詞が分かりやすく聞き取りやすいので会場も笑いの 渦。最近は、狂言だけ演ずる会もあるようなだが、本来、狂言と能は、一緒に観てこそのもの。現実の市井の人々の生き生きとした可笑しさと能の幽玄で悲しい 怨霊の世界の対比の妙を体験すべきだ。一見、対象的な能と狂言だが、どちらも人間の本質を描いている。 能「砧」は、都に訴訟で出かけて いった夫を待つ女房が、夫恋しさに砧を叩いて待つ話。「砧」は木槌で衣の生地を打ってやわらかくしたり、つやをだしたりする道具のことで、この舞台に設置 される唯一の小道具。砧の音は、遠く恋する者のところへも届くという中国の故事に基づき、主人公の女房は、砧を打つ。しかし、想いは夫に届かず、女房は死 んでしまう。そこへ帰ってきた夫の前に、怨霊となって現れる女房。恨みの情を謡と舞で表現する。 狂言と違い、能の謡は、ちょっと聞き取りにくい。何を歌っているかに注力しながら舞を観るのは、なかなかの経験がいるなあ。謡の内容をそらんじるくらいになって観たら、もっと舞も楽しめるのになと思った。 それにしても、面なのに表情が現れる能面の神秘性には、毎度ひきこまれる。 能の謡のなんとも言えないリズムにとりつかれる。何とも美しい日本語と鼓と笛の旋律に酔いしれた。 |
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