2008 11,02 10:15 |
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2008 11,01 23:16 |
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2008 10,24 15:36 |
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今日、会社の社員食堂に行ったら、「八王子ファンモン麺」というメニューがあったので頼んでみた。
普通のラーメンにゆで卵、玉ねぎ、海藻、チャーシューがのっているだけ。会社の同僚と「何がファンモンなんだろうね」って話してたけど、よく分からん。「ファンモンって中国の料理人の名前か、地名じゃない?」、「でも、八王子ってどういうこと?」 結局、中国の料理人が八王子で店を開いてそこのメニューということに落ち着いた。 自席に戻ってさっそくググる。 http:// ファンモンって、ファンキーモンキー・・・・。 そんなグループがいることなどつゆ知らず。ふう~ん。矢沢永吉なら、知ってたんだけどねえ。 |
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2008 10,08 17:22 |
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2007 10,29 14:03 |
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先週の金曜くらいから調子が悪かったのだけど、どうやら風邪をひいたらしく今日は、会社を休んでしまった。喉がすごく痛い。鼻水も出る。でも、ついつい会 社のメールを見てしまい、結局結構家で仕事をしてしまう。会社でも家でもパソコンさえあれば、ほとんど同じことができるねえ。静かで電話がかかってこない 分、かえってはかどったりして・・・。
毎月楽しみなウルトラセブン。今月も2本観た。今回の二話は、子供の頃から何度も再放送で観ていてとても記憶に残っている作品だった。 第9話「アンドロイド0指令」 冒頭のクレジットで、協力 松屋と出た。ロゴは、昔のものだったけど、あの銀座のデパート松屋だ。金髪の不気味なアンドロイド少女とこれまた怪しいおもちゃ売りの爺さんのペアが今では、笑いを誘うけど、子供の頃は怖かった。 松屋デパートの館内、当時のファッションモードが懐かしい。おもちゃ売り場での大戦闘は、すごい迫力だ。テレビ番組というかこりゃ映画だよ! 敵は、チブル星人。ウルトラセブンって、こういう頭でっかちのタコ系宇宙人多いような・・・。 第10話「怪しい隣人」 四次元という言葉を最初に知ったのは、この作品だ。(笑) 今も昔も僕にとっての四次元は、ぶおーんと変な音がして周りがくねくね酔っ払っているようなイメージ。ほんでもって黄色い風船がたくさん転がっている・・・。 足を骨折してギブスの少年が部屋の窓から隣の怪しい人物を観察するのは、ヒッチコックの「裏窓」へのオマージュか・・・。 敵は、イカルス星人。ちょっとグレムリンっぽい可愛い動物系なキャラクターだ。 別荘の隣に四次元がある、ああ、やっぱりウルトラセブンの設定って素敵。 |
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2007 08,01 19:44 |
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2007 03,08 18:55 |
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2006 08,21 21:28 |
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子供の頃、夏が大好きだったけど、最近の暑さは、なんだか体にこたえるなあ。夏は、軽装で外をぶらつけるからいいや、なんて思っていたけど、最近は、肌を一、二枚脱ぎたい気分。
それでも、夜は、結構涼しい。 家 は、海と隅田川に挟まれているので、夜、窓を開けていると潮風と川面を渡る風が心地よい。昔は、隅田川にゴミや死体がよく浮いていたと聞いたことがある か、最近は、結構綺麗な川になっている。浅瀬は、結構水が澄んでいて、魚や蟹の姿も見える。釣りをしている人もたくさんいるから、魚いっぱいいるんだろう な。時折、大きな音がして、川面に水の輪ができていることがあるけど、あれって大きな魚が跳ねたのかな。昔は、こういうのを聞いて、河童とかに結びつけた のだろうか? |
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2006 08,17 22:50 |
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昔 は、雑誌の「ぴあ」をよく買ったものだけど、最近は、インターネットで何でも情報が取れるので、めったに買わなくなった。今でこそ、「ぴあ」のライバル は、「東京WALKER」だったりしているが、当時は、「シティロード」だった。なんとなーく「シティロード」の方が通好みな感じがしていたのだけど、何 せ隔週刊の「ぴあ」と月刊の「シティロード」では、情報の新鮮さは歴然としていて「シティロード」は淘汰されてしまった。「シティロード」の方が読者が少 ないので、試写会に当たる確立が高いって言われていたっけ。
それでも「ぴあ」も、当時は、それなりに芸術的センスが高い人が読んでいたので、毎年のぴあテンやもあテンでは、良い作品が1位を取っていたものだった。今じゃ、ヒットした作品が上位に来るというつまらん結果だしねえ。 「ぴあ」って、まだ「はみだし」あるのかなあ。当時は、電車の中で、「はみだし」だけ読んでニアニアしている人、たくさんいたなあ。 何故か、今でも覚えている。 クサオヒロコ と 山崎ハコは絶対いい 分る人だけに分かるのだ。 |
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2006 08,07 23:58 |
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今日のNHKスペシャルは、硫黄島の特集だった。逃げ場の無い小さな島、硫黄と地熱で40度にもなる壕の中で散っていった数万の兵士たち。日米の生存者の 声と目を覆いたくなるむごい映像で綴られていた。当時の映像のほとんどがカラー映像。無残な死体もあれほど数が多いと、もはや単なる物体でしかないよう な、そこにいる人たちは何も気にも留めていないように見えた。
しかし、どんなに話を聞いても、映像を見ても、当時のことを想像することが微塵もできない。いつか、こうした体験を語る人がいなくなると、忘れ去られてしまうのだろうか。 それにしても、あの戦争は、何だったのだろう? ここで散った兵士の生きた意味は、何だったのだろう? NHKスペシャル 硫黄島 玉砕戦 ~生還者 61年目の証言~ |
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