2009 03,27 23:09 |
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このところ林芙美子に凝っている。
この作品は、戦前の代表作。貧困の中でもしたたかにあっけらかんと生きる女性(自分自身の姿)が時にユーモラスで、時に絶望的に悲しい。 日記と詩で構成されており、物語としての連続性は無い。事実、発表当時は、この日記のいくつかの抜粋が刊行されていた。著者曰く、発禁になる恐れがあるからと後年語っているが、確かに皇室や宗教を揶揄した表現が散見される。 それにしても戦前、女性が生きていくのは大変だったのだなあ。 当時の風俗、街や田舎の姿が不思議と懐かしく目に浮かぶ。 それほどレトリックはないのに、何故かひきこまれた。「私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない」、冒頭はシンプルながら名文だ。 |
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2009 02,02 17:32 |
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映画や舞台では、その作品に触れてはいたのだけど、今まで林芙美子の小説を読んだことがなくて、手を取った。
こまつ座の舞台「太鼓たたいて笛ふいて」を観て、一層興味がそそられた。 「浮雲」や「晩菊」などの戦後の作品とは違い、戦前の作品には、貧乏だけど明るい市井の人々が描かれていた。 現代の生活からは想像もできない貧乏なのに、不思議と登場人物は、明るく、まるで貧乏を楽しんでいるかのように生き生きとしている。 大正時代の風俗や人々の暮らしがとても細やかに描写されていて、知らない時代なのに、なんかそこにあるかのような錯覚におちいる。 当時の歌の文句もとても心に染みる。林芙美子、いいなあ。はまりそう。 風琴と魚の町・清貧の書 林芙美子/著 新潮文庫 ISBN :978-4-10-106107-8 |
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2008 10,04 23:26 |
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鴨長明は、賀茂御祖神社の神事を統率する家に生まれたが、望んだ地位や出世が叶わず、今で言えば負け組みと言われそうだ。そうした境遇から見る世間は、負け犬の視点かもしれない。
しかし、有名な序段の文章は、美しすぎる。「平家物語」と同じくらい、この「方丈記」には、美しい日本語のリズムと表現に溢れている。 地震、飢饉、遷都により荒れる都の表現は、一級のルポルタージュのようで、苦しむ人間の姿、腐り朽ち果ててゆく数万の民衆、路上で横たわる腐乱死体の無残な日常が強烈に脳裏に焼き付き目の前に見えてくるようだ。 そんな時代だったからかもしれないが、余計に彼の”人の世の無常”がひしひしと伝わる。見えてくるのは、そんな時代でも自分が可愛く、立身出世のために自己矛盾を正当化する人間の営みだ。 とにもかくにも至上の美しさを誇る名文に酔いしれた。 |
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2008 10,01 17:31 |
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読み直してみた。昔から嫌いだったのだけど、やっぱり好きになれんなあ、この本。
だいたいにおいて、こやつの上から目線の一方的な思想は好かんのだ。何様のつもりなんだろう。 当時のいろんな風物詩が分かるのは興味深いし、落語のようにサゲがある小話は、なかなか面白いのだけど・・・。 とにかくそれほど関心しないこやつの思想には、なんかつまらん人間だなあと思う。 「方丈記」の鴨長明は、確かに、ちょっと負け犬の遠吠え的な色合いもあるのだけど、彼の自己を見つめる姿勢と文章表現の美しさは、やっぱり素晴らしい。 鴨長明の文章は美しいが、兼好法師は文章が下手だ。 扱う題材は、短い「方丈記」に比べると多岐に渡るが、別段心に残るものはないなあ。「枕草子」の視点の方が遥かに楽しい。 過大評価されすぎの書物だと思う。 |
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2008 04,29 23:57 |
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妻から見た昭和の大作家の姿。何度か補筆されながら版を重ねてきたらしいが、読むのは初めてだ。
太宰のそれぞれの作品が生まれた背景や、人間津島修治を最も近い場所から見ていた視線がなんとも興味深い。 また戦前の三鷹や甲府の姿がよく書かれている。特筆すべきは、津軽の太宰の実家に疎開していた時代の話で、当時の津軽の言葉や風俗を記録した一級の風俗誌になっている。 ボツになった原稿や書き損じた原稿用紙をリンゴ箱に貼って書籍入れを作り、太宰の死後、それを丁寧に剥がし、それがまた太宰の作品の片鱗を示す貴重な資料にもなっている。 戦前、戦中、戦後。短い生涯の天才を見つめた妻の回想録は、過ぎ去ってしまった激動の時代の市井の側からの貴重な記録だと言えよう。 『回想の太宰治』 (講談社文芸文庫 つH 1) 津島 美知子 (著) ISBN-10: 4062900076 ISBN-13: 978-4062900072 |
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2008 02,12 15:07 |
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これは、愛の物語である。落語への愛、師匠への愛、己への愛・・・。
敬愛する談幸師匠が、内弟子時代の思い出を綴った本。談志師匠と一つ屋根の下、知りたいような知らないほうがいいような、落語ファンならかなり気になるその生活を垣間見ることができる。 これは、危険な書物でもある。電車で読んだら、ニタニタ、ニヤニヤ笑ってしまう。おまけに、時々吹き出してしまう。 一見怖そうな談志師匠の優しさと可愛いらしさが全編に溢れている。師匠と弟子の関係、サラリーマンの世界にはない素晴らしい絆だなあと実感した。でも、師匠が絶対で、逆らえないってのは、僕には無理だなあ・・・。(笑) 先代の小さん師匠と食堂をはしごするくだりは、もう抱腹絶倒。 談志師匠のお酒の嗜好、歌の趣味など楽しい話題が盛りだくさん。 それよりも何よりも、やっぱり談幸師匠が素敵。落語への情熱と愛がひしひしと感じる。 まがい物が何気なく混じってのほほーんとしている今日この頃、本物の落語、本物の噺家は、立川談幸にあると、僕は、思うのだ。 談志狂時代―落語家談幸七番勝負 立川 談幸 (著) # 出版社: うなぎ書房 # ISBN-10: 490117424X # ISBN-13: 978-4901174244 |
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2007 12,25 17:03 |
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一気に原文で読んでみた。日本語の持つ美しいリズムと格調高い文体は、やはり震えがくるほど素晴らしい。
単なる滅びの美学でなく、頂点を 極めた者の悲哀が全編を駆け巡る。鎌倉時代に成ったものであり、そもそも平家=悪で描かれているのだが、平家打倒の立役者である木曽義仲が都で横柄な態度 を取れば、東国の田舎侍と今度は排除され、壇ノ浦での平家滅亡の功労者である義経は、頂点の座に固執する兄・頼朝に討たれる。ある者が頂点を取るまで、人 々の優しく期待に溢れた態度をとり、頂点を取ったその瞬間から嫉妬と欺瞞とで次の標的となる。人間への洞察が恐ろしいほどだ。 もう一つ、古来日本人にある死生観が興味深い。武士たる者、敵の手に堕ちるよりはと自害する。そうかと思えば、果敢に敵群衆の中に突っ込み死ぬ、囚われたなった者は死ぬ前に一度妻に会いたいと願う。いずれも極楽浄土を願う仏教の思想が根底に流れる。 短く簡潔ながら印象的な描写に惹きこまれる。喜界島で一人取り残される坊主、切り殺されていく武士たち、8歳の安徳天皇を抱えまさに海へ入水しようとする清盛の妻・時子など、まるでその場にいるような気さえする。 武士の盛者必衰だけでなく、あまりに波乱万丈な人生をおくる清盛の娘・建礼門院徳子が、出家した後、生きながら六道を体験したと語る「潅頂巻」も秀逸だ。 名文に酔いしれ、史実を元にしているとは言え完璧なストーリー構成に圧倒される。 |
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2007 08,16 00:13 |
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これは介在の文学だなあと思った。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、妻節子が読む日本の昔話を聴き、それを英語にアレンジして書く。それをまた日本人 が日本語に訳してできたのがこの『怪談・奇談』だ。古くから伝わる日本の話が、日本人が語る音となり、それが外国人を通して英語の物語になり、それがまた 日本人により日本語の文学に戻ってくる。この介在の生む新しい風がこの文学の面白さだろう。
どの話もとても良くできていて面白い。古来から変わらぬ日本人の、人間の心理が非常によく描写されている。 英語版を読んだら、また違った面白さがあるんだろうなあ。 後半、話の原拠がそのまま掲載されている。正直言って、原典は、小泉八雲を通した物語より遙かに面白い。耳なし芳一しかり、今昔物語しかり、日本語の持つ美しいリズムと簡潔な描写から得られる想像の世界の方が脳味噌には一層刺激的だ。 怪談・奇談 小泉八雲 / 平川 祐弘 編 講談社学術文庫 |
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2007 05,08 23:45 |
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学生の頃、いくつかのエピソードを拾い読みした「大鏡」。本棚に埋もれていたのを何気なく手に取って読み始めたら、止まらなくなってしまった。
受験の頃にたたき込んだ古典文法、意外と忘れていないものだ。古文の調べは、なんとも言えぬ旋律を醸しだし、脳味噌に心地良い。それでも注を参照しながらだったので、読み終えるのに随分時間がかかった。 190歳の世継と180歳の繁樹の両翁が、雲林院の菩提講で久しぶりに出会い藤原氏栄華の昔話を始める。それを通りがかりの若侍が聴きながら時に彼も話しをする。それを作者である人物がそでで聞いているという設定だ。 紀伝体で書かれたこの書物は、初めに天皇の帝紀で登場する全ての帝を紹介する。その後に藤原氏の大臣列伝となるのだが、紀伝体なので同じ人物がいろんなところで登場して絡み合い面白い。 1000年以上も前の物語だが、そこに描かれる人間は、己の自我のために人を騙し、策略を練り、妬み、そして悲しむ。時に優しく可笑しく楽しいエピソードを絡めながら、天皇家に嫁を送り込み、我が世の春を謳歌する道長へと続いていく。 大鏡の登場人物への視点は、一方で厳しく冷たく見つめながら、一方で温かく人間的な面も見せる。人間を多面的にとらえ、有名なエピソードも様々な視点から描いている。 藤 原氏ならいいかといえば、さにあらず、同じ藤原氏でも、天皇家に娘を送り込まないと政権の中枢を握ることはできない。一条天皇の皇太子を退け自分の孫を天 皇にしてしまう道長、その退けた皇太子も自分の兄の孫、おまけに退けた皇太子に自分の第二婦人の娘を捧げる道長、なかなかすごい人物である。天皇家に生ま れても、有力な藤原氏の後ろ盾がない者は、早々に臣籍である源に下ったり、出家してしまう。 複雑にからむ人間関係、平安時代の貴族の生活、政権獲得のための策略などなど、人間は何千年と変わらぬ営みを続けているのだ。 読み応えあったなあ。 |
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2007 02,26 19:38 |
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