2008 12,07 22:38 |
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この舞台は、以前も観ているのだけど、大竹しのぶ、木場勝己、梅沢昌代の主要キャスト3人での再演とあって、また観に行った。もうこの3人以外は、考えられないほどのはまり役。
一幕は、明るく楽しく歌声も朗らかだ。しかし、その根底には、戦意高揚に駆りたてられる悲しみも秘めている。 二幕冒頭は、いきなりのクライマックス。冬の信州での名場面は、利用されたとは言え戦意鼓舞に一役買ってしまった林芙美子の怒りと自己欺瞞への復讐が爆発する。 戦後、罪悪感にさいなまれ詫びるつもりで小説を書き続ける林芙美子を大竹しのぶ、いつも斜に構え冷静に現状を見つめながらも明るく生きるその母に 梅沢昌代、時代時代に上手に適用し社会に合わせて生きていく三木孝に木場勝己と三者ともに最高の演技だ。とにかく一挙手一投足そのすべてが素晴らしく圧巻 である。 楽しく、大いに笑って、一緒に歌って、そしてしみじみとした余韻が残る。何度でも観たい。 |
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2008 10,19 19:58 |
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笑った、笑った、もう最高に可笑しかった。
これぞ演劇。綿密に練られたプロットと展開にもう夢中だ。ピーター・シェーファーの戯曲は、まさに究極のエンターテイメント。 幕が開くと、暗い舞台。ぼんやりと家の居間で人がいるのが分かる。暗いのに俳優は、自由に動きまくり、普通に会話している。そして、停電。とたん に舞台は明るくなるが、俳優はまるで盲人になったようにどうしてよいか分からなくなる。そう、この舞台は、真っ暗闇の世界で起こる喜劇が観客からは、明る い照明のもと丸見えというなんとも舞台ならではの設定なのだ。 暗闇の世界と明るい世界が、俳優と観客とで逆転している。真っ暗闇という設定をいかした人間のやり取りが最高に面白い。次々にからんでくる人物、それがまたひとくせもふたくせもあり、抱腹絶倒の展開になる。 最高だったのは、ハロルド役の栗原英雄だ。芸達者やのう。濱田めぐみは、ミュージカルとはまた違った魅力で、本当にこの人も何でもこなす人だ。 何度でも観たいくらい、最高に楽しいエンターテイメントだ。 こういう素晴らしいものを観ると本当に気分が良くなるなあ。 |
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2008 05,31 19:25 |
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今日は、マイミクの”しのたか”さんのお誘いを受け、同じくマイミクの”か”さんと能を観劇に行ってきた。お二人は、mixi以前のお付き合いで、歌舞伎やら落語やらクラシックのコンサートやらを楽しんでいる。
今日は、しのさんがチケットを手配してくれて、正面の前から二列目。ものすごく堪能できた。 舞囃子「熊坂」 能「熊坂」を舞囃子にしたもの。シテの田崎甫が一人薙刀を持って舞う。相手は、牛若丸。しかし、牛若丸は劇中には登場しない。謡でもって表現される。観客は、舞う熊坂に謡で表現された牛若丸を想像し、イマジネーションの中で戦わせる。なんたる素晴らしき世界観。 狂言「舟渡聟」 聟 石田幸雄 船頭 野村万作 姑 野村万之介 幽玄の世界を描く能と違い、狂言は、現実世界の人間の営みを描く。狂言を見て、能を見るとより一層世界観が広がっていく。 夫が妻の実家を訪ねて行く話。舅へ酒の土産を持っていくが琵琶湖の船頭に脅迫され酒を飲まれてしまう。妻の実家を訪ねて義父に会うとそれがその船頭だっというまるで落語の原型のような抱腹絶倒の舞台が展開される。 狂言は、台詞も分かりやすく、落語にも通ずる世界観があっておおいに楽しめる。 能 「梅枝」 シテ 田崎隆三 ワキ 森常好 鼓の響き、笛の音、謡の独特の調べ、その太古のリズムに体が震える。自分の中の何かが目覚める。簡素な舞台構成に想像の世界が宇宙のように広がっていく。美しき日本の調べの謡は、耳元で美となり凍りついて離れない。 身延山の僧が大阪の庵で遭遇するのは、浅間という楽人に殺された同じく楽人の富士の妻。女の幽霊だが、亡き夫の装束を着て舞う。 誰かを愛し、誰かを憎む、400年変わらぬ人間の営みが美しい謡と舞に表現される。 うーん、能はいいなあ。ますますはまっていく・・・。 |
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2008 04,21 23:14 |
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コラアゲンはいごうまんのライブに行ってきた。新宿のライブハウス、もうお客さんギュウギュウ。コラアゲンさん、汗と唾液をまき散らし、パワー全快のライブだった。
彼のネタは、数十分ある。体験ドキュメンタリーとでも言おうか、ノンフィクションお笑いだ。これだけ長時間のネタを淀みなく、面白く、そしてちょっぴり人生の悲哀を感じさせるさまがすごい。 コラアゲンはいごうまん 「沢田マンション」 高知に実在する伝説のマンションの潜入ルポ。建築資格を持たないとある夫婦が建てた不思議な不思議なマンション。奇妙な形、ところどころにある思わず笑ってしまう不備の数々、それでも多くの住人がこのマンションと大家を愛している。 笑って、笑って、最後にホロっとさせる感動巨編だ。大家のおかみさんの魅力的なキャラ、彼女を慕う多くの愛すべき住人たち、落語の人情話にも似た、こんなお笑い芸があったのだなあ。 旅先での出会い、後日談、彼のネタは今も続いているのがすごい。聴く度に話が変化していく。 コラアゲンはいごうまん 「教科書問題?」 ネタのタイトル分かりませーん。(笑) 彼のブログに書いてあった図書館に通っていたというのはこのためだったのね。東陽町に日本の教科書を集めた図書館があるという。そこに通いつめ、ここ10 年、小学6年生の算数の教科書に現れる子供の名前で一番多いのは誰かを数えたのだそう。「太郎さんは、八百屋で50円リンゴ4つと60円のみかん 3つを買いました。合わせていくらでしょう」のような文章問題に出てくる子供の名前で一番多いのは誰か・・・。 時代によって変わるその名前、果たして一位は・・・、というどうでもいいランキング発表の裏に隠された、戦前・戦後の日本の教育の歴史の謎も明かされるという、こちらはミステリー巨編? こちらも面白かったなあ。 楽珍トリオ ラップ ゲストの楽珍トリオは、ラップ?を披露。かみ合わない不思議な魅力。 コラアゲンはいごうまん 「クレーム処理」 自らテーマを決めのぞんだ最新作。面白かったけど、前半の2編に比べると完成度がまだまだかな。これからまたさまざまに変化していくのだろう。 後半は、観客が事前に記入した「コラアゲンに対するクレーム」に彼自身がクレーム処理していく・・・。客席には、コラアゲンに弟子入りを希望した小学生の男の子もいて、そのやりとりも微笑ましかった。 僕のクレームも読まれちゃった。(笑) |
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2008 04,06 20:08 |
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ずっと観たかった劇団四季「李香蘭」を観てきた。翻訳ミュージカルは苦手なので、劇団四季のミュージカルを観るのは初めてだ。これは劇団四季オリジナルなので観に行った。
李香蘭こと山口淑子の人生は、まさに波乱万丈。動乱の時代の数奇な運命に導かれて、人間の想像を絶する壮絶な人生だ。 このミュージカルの語り部であるもう一人の「よしこ」こと川島芳子も李香蘭と同じような境遇だが、こちらは銃殺されてしまう。実在の人物と当時の流行歌を交えた構成は、ミュージカルという楽しさの側面と戦争の悲しみと憎しみという重い側面を上手に繋ぐ。 オープニング、「殺せ、殺せ」と歌い踊るシーンは圧巻。(振り付けがジェローム・ロビンスのぱくりっぽいけど・・・) 伝説の日劇レビューのシーンは、もっと華やかなものを期待していたけど、美しく印象的だった。他にも軍艦の甲板でのシーンや群集コーラスは、鳥肌もの。 何度も李香蘭を演じている野村玲子は言わずもがなだが、何と言っても川島芳子役の濱田めぐみが素晴らしい。この舞台は、川島芳子役がキーだ。 ちょっとあまりに日本が「悪」で中国が「正義」というのが強調され過ぎた感はあったが、日本の戦後処理は、ドイツに比べると確かに罪悪よりも、原爆投下による被害者的な側面からの平和の訴求であることは否めない。 まあ歴史の解釈はさておき、翻訳でないオリジナル・ミュージカルとして、また李香蘭こと山口淑子の物語として、永遠に記憶に残る作品であろう。 山口淑子の人生は、戦後もかなり波乱万丈だ。この人ほどものすごい人生は、近年他に思い当たらない。 |
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2008 03,15 22:08 |
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以前からずっと観たいと思っていた舞台。太宰の青春時代を通して、その頃の日本人像を浮き彫りにしていく。辻萬長演じる中北が、戦中・戦後を通して最も典 型的な日本人像を表している。太宰の目から掌を返すように簡単にイデオロギーを捨て去る人間への痛烈なメッセージがある。
他のこまつ座の舞台に比べるとミュージカル・シーンが極端に少ないが、楽しい会話とおどけの影にある当時の時代の厳しさがひしひしと空間を貫いている。 照明の使い方が見事で、狭く奥行きが無い舞台に広がりをもたらしていた。太宰のキャラも比較的明るく設定されており、舞台も楽しげな雰囲気に始終包まれる。 そして、二幕の最後の2場面の感情の爆発と切ないまでの青春時代の終焉が胸を打つ。平野愛子の「港が見える丘」のメロディーに涙腺が切れちゃうわあ。 辻萬長と田根楽子の存在感は、圧倒的! |
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2007 10,08 21:34 |
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しのたかさんのお誘いで今日は、お能と狂言の観劇。会場には、かさんも。 僕、能も好き。最低限の舞台セットと登場人物で演じるその様は、落語同様シンプルだけれども、観る者の想像力をかき立てる。 舞囃子「巻絹」 田崎甫
狂言「三人片輪」 シテ石田幸雄、アド野村万作、野村萬斎、高野和憲 能「砧」 シテ田崎隆三、ツレ金井雄資、ワキ森常好、ワキヅレ舘田善博、アイ石田幸雄 狂 言の「三人片輪」は、タイトルそして内容といい、現在テレビで放映するのは難しいだろうな。狂言は、台詞が分かりやすく聞き取りやすいので会場も笑いの 渦。最近は、狂言だけ演ずる会もあるようなだが、本来、狂言と能は、一緒に観てこそのもの。現実の市井の人々の生き生きとした可笑しさと能の幽玄で悲しい 怨霊の世界の対比の妙を体験すべきだ。一見、対象的な能と狂言だが、どちらも人間の本質を描いている。 能「砧」は、都に訴訟で出かけて いった夫を待つ女房が、夫恋しさに砧を叩いて待つ話。「砧」は木槌で衣の生地を打ってやわらかくしたり、つやをだしたりする道具のことで、この舞台に設置 される唯一の小道具。砧の音は、遠く恋する者のところへも届くという中国の故事に基づき、主人公の女房は、砧を打つ。しかし、想いは夫に届かず、女房は死 んでしまう。そこへ帰ってきた夫の前に、怨霊となって現れる女房。恨みの情を謡と舞で表現する。 狂言と違い、能の謡は、ちょっと聞き取りにくい。何を歌っているかに注力しながら舞を観るのは、なかなかの経験がいるなあ。謡の内容をそらんじるくらいになって観たら、もっと舞も楽しめるのになと思った。 それにしても、面なのに表情が現れる能面の神秘性には、毎度ひきこまれる。 能の謡のなんとも言えないリズムにとりつかれる。何とも美しい日本語と鼓と笛の旋律に酔いしれた。 |
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2007 08,04 23:33 |
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「アマデウス」で有名なピーター・シェーファーの代表作。初演は、1973年のロンドンだが、75年には劇団四季が翻訳上演をしている。また、シドニー・ルメットが78年に映画化している。
舞 台は、いたってシンプル。ベンチと柵があるだけだ。それを囲むようにステージ客席があり、まるで裁判の傍聴席のように観客もステージの一体となって舞台を 見つめる。そのステージ客席にはいくつか空席がある。舞台の登場人物が登場するとその空席に座り、出番がくるとそこから舞台の中心に向かう。 ベンチと柵と役者、舞台上はそれだけだが、時空を超越した物語展開は、現代と過去、夢と現実、記憶と嘘を巧みに絡ませものすごい迫力がある。 直訳調の台詞がちょっとがっかりだが、不思議な音楽と馬をイメージさせる面と人間の体、光と影の印象的な陰影は圧倒的だ。脳味噌の中を探検しているようだ。馬と少年の関係に神と人間の立場を投影し、哲学的に深いテーマを投げかける。 現代舞台芸術の一つの到達点を観ることができる。 |
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2007 03,25 23:33 |
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夜は、しのたかさんとそのまま歌舞伎座へ。義経三本桜の後半を鑑賞。素晴らしい。堪能した。 四幕 木の実 / 小金吾討死 いやあものすごいプロットだなあ。仁左衛門演じるいがみの権太の悪爆発という感じの「木の実」は、いろんな伏線を張り巡らし魅せる。 続 く一大スペクタルの「小金吾討死」は、夜の野原のスピード感あふれる大立ち回りの殺陣に釘付け。特に縄を使った蜘蛛の巣ような演出は、鮮やかで美しかっ た。左団次の弥左衛門を通りかかって何やら考えて刀を振りかざす幕切れも、「えー、これからどうなるの?」と思わず心の中で叫んでしまう。 五幕目 すし屋 四幕とこの幕の最初で張り巡らされた伏線が、一気に結びつき、そしてラストのどんでん返しへ。まあ、あっぱれの脚本! 江戸時代の天才たちのこのストーリーテリングは、素晴らしいの一言に尽きる。 大詰 川連法眼館 / 奥庭 義 経が静御前を預けたはずの忠信が実は、狐だったいう話。本物の忠信が現れて、もう騙せないと正体を現した狐が初音の鼓の縁を語る。狐に豹変する仕掛けは歌 舞伎ならでは。菊五郎の狐の舞も楽しい。本物の忠信が何も知らないと語るシーンの表情も、本当に知らないような顔。なんたる演技派。それに比べて、幸四郎 は、何をしゃべっているのか良く聞き取れないなあ。 ラストの「奥庭」。これから滅び行く人たちの最後の一瞬の輝きが満開の桜のもと放たれて幕。なんという舞台だろう。すごすぎる。 幕間には、地下の食堂「花道」でおでん定食を食べた。昔のデパートの食堂みたいな風情。懐かしや。しかし、30分で食べるのはあわただしいなあ。 |
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2007 03,21 18:28 |
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先月に引き続き、今月も歌舞伎座の通し狂言へ。今月は、「義経千本桜」だ。僕は、「忠臣蔵」よりこっちの方が遙かに好きだなあ。もともとは人形浄瑠璃の三 大名作の一つだが、「菅原伝授手習鏡」を含め、三つとも作者が同じ。竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作だ。どれも史実をベースにものすごい想像力の虚構 を交え、壮大な物語になっている。
「義経千本桜」、日本人の大好きなヒーロー義経の名が冠されているが中心となるのはその周辺の人々で、 とりわけ史実では死んでいたはずの平家の落人が実は生きていたとしたら・・・の後日談が描かれている。結局その生きていた人たちはこの舞台で非業の死を遂 げ再び死んでしまうのだが、平家、義経、桜と滅びの美学を頂点まで高めたこの作品は、究極の傑作と言えよう。 序幕 鳥居前 義経と静御前の別れを描く、いきなりクライマックスかのようなシーンだ。形見として静御前に渡される「初音の鼓」は、落語でもお馴染み。どうして狐なのか、この舞台を見ると分かるのね。弁慶がいかにも歌舞伎風だ。(笑) 左団次は、風貌も声も弁慶のイメージ通りだなあ。 今日は、1階の最前列だったので、役者の表情が良く見えた。菊五郎の狐の忠信もいいし、梅玉の義経もはまってた。 二幕 渡海屋 / 大物浦 魚をたくさんあしらった台詞が楽しい船宿の「渡海屋」から、前半最大の見せ場「大物浦」は、ものすごい緊張感だ。特に典侍の局役の藤十郎が素晴らしい。役者が役になりきるとは、こういうことなのだろう。すげえ。 史 実では死んでいるはずの平知盛が実は生きていて、義経に仇討ちを試みる。船宿の主人に名前を変えて待ちかまえていた知盛は、最初義経を擁護しているような 町人を演じ、実は義経暗殺をたくらんでいるのだが、それは既に義経側に知られていて非業の死を遂げるクライマックスに突き進む。 なんというたくみな物語構成なんだろう。江戸時代の作家の比類無き想像力に圧倒された。 三幕 道行初音の旅 悲劇から一転、桜満開の吉野山が舞台の舞は、これぞ歌舞伎という型と様式美に溢れる。悲劇の後の明るい華やかさは、観客をうっとりした気持ちで帰すのと、続く悲劇への嵐の前の一時の幸福感を与えてくれる。 滅び行くものに美を見いだす日本の真骨頂、続きが楽しみだ。続きは、25日の夜。 義太夫の調べに心打たれている今日この頃、年を取ったのか、潜在的日本人の心に目覚めたのか・・・? |
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