2007 02,17 19:51 |
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2007 02,11 20:03 |
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アンソニー・ホプキンスは、ものすごく魅力的なるも映画としては普通の出来。 ロードムービー風だが、旅の途中出会う人とのエピソードが薄っぺらく全く心に残らない。 最後のレースシーンは、なかなかの迫力なので、なるべく大画面で堪能したい。東京だったら、銀座でなく新宿のテアトルタイムズスクエアで観るのがいいだろう。 アンソニー・ホプキンスが上手すぎて、周りの人々が退屈。彼の演技を楽しむ映画でそれ以上のものはない。 いくつになって夢をあきらめず、ああいうジジイになりたいものだが、苦労した部分は全く描かれず、人生の楽しい部分だけ見せるというのはどんなものか。 マンローのドキュメンタリーが観たくなった。 単純明快な映画なので、多くの人は、まあ楽しめるのだろう。 栗3つ。 新宿テアトル・タイムズスクエアにて。 世界最速のインディアン、展示中。 |
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2007 02,09 23:14 |
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最終日ということで監督と土方巽研究者の方とのトークショーがあった。とりとめないトークショーで何とも尻切れ蜻蛉的だったけど、監督の生の声を聞けてラッキーだった。 冒頭に寺山修司の詩が引用されていたが、映画の雰囲気も寺山の映画を彷彿させるどことなく懐かしい感じがした。 プロットは、とても好き。死への扉は、市井の何気ないところに口を開いている。そんな死の世界への玄関口に迷い込んだ少年の物語。 舞踏家の監督作品だけあり、随所に盛り込まれた舞踏のシーンは圧倒的。特に劇中死んだままのカケラの舞は強烈だった。 人間の生きる理由はよく分からないのだが、一方死ぬ理由というのもよく分からない。ただ、人間は死すべき運命であるということは分かっている。生きる理由も死ぬ理由も分からない僕は、ただ生きているのだろうか。なんてことを考えた。 劇中、少年に向かって女が「死んではダメ、死んだらもう美しい夕焼けも見られなくなるのよ」というような台詞があったが、案外生きている理由というのは、そんな些細なことなのかもしれない。 生きることの喜びに溢れているはずの少年が一番人間味がなく、死にゆく大人たちがとても人間的だった。 終映後、映画館の階段を昇っていると踊り場に死者が二人いた。一瞬ハッとしたが、劇中死にゆく人物を演じた俳優さん二人が笑顔で観客を見送っていたのだ。 戦争の影を引きずる登場人物への感情移入が、ちょっとできなかったが、生と死の鮮烈のイメージが刻まれた映像に酔いしれた。 栗4つ。 ポレポレ東銀座にて。 |
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2007 02,01 20:26 |
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映像と色遣いがなかなか渋い。途中で展開が分かってしまうけど、それでも観る価値あり。それほど宣伝されていないのが不思議。 ルーシー・リューが可愛く思えたのは新鮮だったが、せっかく警察側の人間という設定なら、物語に緊迫感を持たせるようもっと絡んでくると良かったのになあ。 脚本はよくできているが、ハラハラドキドキな緊迫感が出せていないのが残念。 でも、これは観て損はない娯楽作品だ。 栗3つ。 丸ノ内プラぜールにて。 |
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2007 01,27 20:34 |
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爺さんが弓を楽器にして弾くシーンも音楽と全然あってなく、安っぽいミュージック・クリップを観ているようだった。 ラストの神懸かりなシーンも、何だか分かったような分からんような、中途半端だなあ。 泉谷しげるのような爺さんが、カレンダーに×印を付けていくシーンや戸棚に靴や洋服をしまってニヤニヤするのが本当に気持ち悪かった。 「悪い男」は、最高に面白かったんだけどなあ。 今回は、全体的に安っぽい感じがした。 栗2つ。早稲田松竹にて。 |
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2007 01,27 20:32 |
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2007 01,22 20:40 |
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2007 01,21 20:41 |
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特に、ナイルパーチの残飯を加工する会社の映像は、目を覆うばかりの悲惨さだ。 多くのヨーロッパ人や日本人が、自分たちが食べている魚が輸入される背景でこんな悲惨なことがあることを知らないだろう。 地球で行われている人類のある営みを記録したという点ですごい映像ではある。 でも、じゃ、何か行動を起こしているかというと何も起こしていない。ただ記録しました・・・というだけ。 要人や背後に蠢く組織や人間への追及が何一つない。武器の密輸に関する事実関係も、ロシアのパイロットの証言だけで、別段徹底的な真実を突きつけている訳でもない。 映像は、強烈で悲惨だが、だから何?と言いたくなってしまう。 ただただある国の事実を見つめているだけだ。まあ、それが始まりなのかもしれないけど、問題提起したに過ぎないドキュメンタリーだ。 チネチッタ川崎 スクリーン9にて。 栗3つ。 |
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2007 01,20 20:51 |
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オリジナルより緊迫感が無いし、所詮ディカプリオちゃんには、トニー・レオンのような哀愁も出せない。 とにかく何のひねりもなく、ただただオリジナルを真似ただけで退屈だが、オリジナルを観ていなければ単純に楽しめると思う。 これがスコセッシなの? というほど貧弱な映像にはがっかり。「タクシー・ドライバー」や「グッド・フェローズ」で魅せてくれたあの眩いばかりの圧倒的な映像表現は、もう見る影も無い。 スコセッシも年をとったのお、もうモノマネしかできなくなったのか・・・。 結末がオリジナルと違うけど、オリジナルの方が遙かに素晴らしい。 栗2つ。ユナイテッド・シネマ豊洲スクリーン10にて。 |
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2007 01,07 21:28 |
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李香蘭主演の「支那の夜」を近代フィルムセンターで観てきた。溝口の特集以上の混雑に正直驚いてしまった。
映画は、戦時中に作られた国策映画で、中国人に日本化を推し進めるような台詞のシーンがある。軍の依頼のもとに作られた映画だからしょうがないが、正直歯の浮くような台詞にちょっと観ていて赤面。 山 口淑子が、昨年の日経の「私の履歴書」でも書いていたが、長谷川一夫にビンタされるシーンは、本当に頬を思い切り打たれたそうだ。他の船員たちの喧嘩の シーンでは、殴るふりだけで全くかすりもせず、自分から倒れたり、バケツの中に入ったりと見ていて滑稽だったが、長谷川のビンタのシーンだけは確かにもの すごくリアルだった。 脚本は、「生きる」や「七人の侍」の小国英雄だが、ストーリーはたわいもない。しかし、この映画には、見所聴き所が二つある。 一 つは、美しい戦前の蘇州を舞台に李香蘭が「蘇州夜曲」を歌うシーン。戦前、戦中、戦後、いや日本の歌謡史で最も美しいこの曲は、この映画の主題歌だ。西條 八十の詩は、メロディーがなくとも胸を打つ響きがあり、それに服部良一が付けた美しい旋律は、映像と一体となって光り輝く。桃の花が咲き乱れる蘇州の風景 は、まるで桃源郷だ。当時、このシーンを観た観客は、今、戦争していることが嘘のように思えただろう。 もう一つ、上海ホテルのテラスでこれまた李香蘭が歌う「支那の夜」だ。バックの上海の街はセットだが、ネオン煌めく上海の夜に響く歌声とメロディーは、美しい。これも詩は西條八十、曲は竹岡信幸。 この美しい二つのシーンの後、川での戦闘シーンがあり、やはり今は、戦時中だと思い知らされる。 悲恋で終われば映画として良かったと思うのだが、チープなハッピーエンドがいただけない。 大根役者が多い中、戦争中改名させられていた藤原鶏太(戦後、藤原鎌足に戻す)の演技が自然でいい。 そして何よりも李香蘭。この人がどんな思いでこの役を演じていたか、その胸中を察するとこちらの胸も痛くなる。李香蘭の表情は、美しくもいつも悲し気で切ない。こんなものすごい人生・・・、それに比べて自分の人生のなんと退屈なことよ。 名曲「蘇州夜曲」を口ずさみながら、映画館を出ていた。これは、歌を聴き観る映画だ。栗3つ。国立近代フィルムセンターにて。本日は、満員札止めだった。「支那の夜」は、あと1回、1月24日(水)15:00より上映される。 |
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