2011 01,10 17:17 |
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上野の博物館を出た後、昼飯を食べて新宿へ。今年の初映画は、「バーレスク」に。にっし君はアギレラ目当て、僕はシェール目当てとここでもジェネレーション・ギャップが・・・。
上映している映画館の中で一番スクリーンが大きいところで観ようと思い新宿ミラノ1へ。かつては、新宿一の映画街だった歌舞伎町、バルト9や新宿ピカデリーのシネコン化に押され、大劇場の新宿プラザが閉館、ミラノの周りの中小映画館も軒並み閉館していた。映画もエロも全体的に歌舞伎町からパワーが無くなっている感じがした。 日劇、テアトル東京、日比谷映画、有楽座、日比谷スカラ座とかつての映画館らしい大劇場が姿を消し、ついこの間まで東京で一番の収容人数とスクリーンの大きさを誇るのがここ新宿ミラノ1だった。昔は、新宿ミラノ座と言われていたね。キャパシティは、単独映画館としてはいまだ東京で一番大きいが、スクリーンの大きさでは、ワーナーマイカル海老名、TOHOシネマズ六本木ヒルズ、ユナイテッドシネマ豊洲に抜かれた。 されど、新宿ミラノ1には、スクリーンの前に幕があるのだよ。映画ファン感涙。そして映画館ではろくなものが食べられないけど、ここは館内にモスバーガーがあるという貴重な映画館なのだ。 でも、今時座席指定じゃなく、入場に並ばせるのはちょっと不満。 と映画館の話が長すぎた。 肝心の本編だけど、音楽ファンなら楽しめるが映画ファンには消化不良という感じか。お決まりの展開となんのひねりも無い脚本は、退屈きわまりない。陳腐の台詞のオンパレードやありきたりのラブロマンスには、辟易してしまう。 されどどうせ観るなら映画館をお勧めする。大音量の音楽とアギレラ、シェールの歌声を度迫力のボリュームで聴けるのは価値がある。アギレラは、顔と体からは想像できないほどパワフルな歌声とダンスを披露。 声量や迫力で圧巻のアギレラだが、シェールの存在感はまた別格で、歌って技量じゃなく心なんだなあと思わせてくれる。 このところすっかりレディGAGAにお株を奪われたが、エロ奇抜衣装の元祖は、シェールだよねえ。 ドラマを期待していくと肩透かしだけど、豪華なレビューを観たと思えば楽しめる。 栗3つ。新宿ミラノ1にて。 にっし君が「シェールって男だと思ってた」と言っていた。違うよ。違うよねえ? あ、それからLAのセレブは、やっぱりルブタンの靴を履いているんだということが確認できたことが収穫か?(笑) |
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2010 12,24 22:43 |
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この映画も何度も観ている。なのに飽きない。
『晩春』が日本人の心の美しさを表しているとすれば、『東京物語』は日本人の切なさを象徴している。 家族というものを親と子、それぞれの視点から描いているが、この頃の日本で既に親から見た家族の喪失を描いていることに驚く。昔は、家族の絆って強かったとのだろうと勝手に思っていたけど、意外と今と変わらなかったのかもしれない。 杉村春子演じる一見嫌味な長女だが、この人物こそ市井の人々の代表なんだろう。目の前の事象に上手に対処し、喜怒哀楽も普通にあるが、一方で物事に対して冷めていてエゴむき出し、自分さえ良ければそれでいいタイプだ。 対照的に原節子演じる死んだ次男の嫁は、他人なのに一番優しい。あまりに親切で優しいその姿だが、時折見せる冷たい表情に偽善的な匂いも感じないではない。ラスト「私、ずるいんです」とういう台詞を原に言わせる脚本は、ものすごい。それに対する笠智衆の台詞は、涙無しには観られない。 どうしようもない孤独と喪失感、切なく悲しい展開に、でもこれが人生なのだろうと妙にしみじみしてしまう。 たんたんとした日常の中に人間というものを描ききった稀有な作品。 栗5つ。 神保町シアターにて。
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2010 12,24 19:38 |
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もうこの映画は、何回観ただろう。多分、小津の映画の中では一番観ている。
何度も観ているのに、毎回惹き込まれる。 娘が嫁に行く。たったそれだけのドラマなのに、エピソードは、日常どこにでも転がっていることなのに、何故にこんなにもドラマッチクで感動的なんだろう。 この映画の原節子の美しさといったらもう世界一。まるで空から舞い降りた天女のよう。 七里ガ浜での自転車の原節子の美しさと、再婚しようとする父親を睨みつける厳しく冷たい美しさの対比もとてもいい。日本映画史上、絶世の美女No.1だ。これは揺ぎない。 この映画はまさに、日本人の心の美しさそのものだ。日本的心の美の結晶と言っていい。 そして、ラストのなんとも言えない場面は、永遠に心の中に焼き付けられる。 栗5つ。なんでもない日常こそが感動的である。 神保町シアターにて。
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2010 12,23 14:28 |
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にっし君と東劇で上映中の映画へ。と言っても劇映画ではなく、シネマ落語。東劇は、向いにあった松竹のメイン劇場であった松竹セントラルが閉館して以来、ポツンと取り残された感ありで、このところシネマ歌舞伎やMETのオペラ中継などあまり劇映画を上映していない。
そんな中、ネタ切れの苦肉の策でついに落語かと思ったが、これがまた場内ほぼ満席状態で大ヒットみたい。ただ、観客の中心は、60代より上といった感じか。 さて、志ん朝師匠以外は、生で観たことがない方ばかり。テレビやDVDだとどうしても集中できないので、やはりこうした機会はありがたい。 八代目 桂文楽 「明烏」('68) 優しそうで人品良さそうで大人しそうなお爺さん。そんな印象だった先代の文楽師匠だけど、落語に入るや驚くほど芸達者。次から次に見た目のキャラからは想像できない人物が飛び出てくる。人物描写が素晴らしく、人間がいきいきとしていた。 三代目 古今亭志ん朝 「抜け雀」('72) 若いっ。志ん朝師匠は、やはり華がある。いい男はそれだけで得だ。そしてこの人の場合、そこに素晴らしい芸がある。 一切の淀みない語り口は、少々早口に思えるのだけど、それでいて登場人物は、瞬時に現れては消え、現れては消えていく。 風格というか貫禄というか、若くても圧倒的な力が漲っていた。 十代目 金原亭馬生 「親子酒」('78) なんとなーく漠然と志ん朝師匠がすごいと思っていたけど、今回の4つの作品の中では、この馬生師匠が一番素晴らしかった。こんなすごい師匠がいたなんて、生で拝見できなかったことが悔やまれる。 こんなにも人間の心と感情を表現できる人がいたんだなあ。人間への洞察が鋭いのに、優しい眼差しを感じた。 六代目 三遊亭圓生 「掛取万歳」('73) 人情噺での鳥肌が立つような感情表現が圧巻だが、こうした滑稽ものも器用にこなすんだなあ。 ダレがちになりがちなこの噺を50分、観客をひきつけるのだからすごい。 まさに何でもこなす天才。ここまでできちゃうと自分でやってても気持ちいいだろうなあ。 4人の落語に共通しているところは、無駄なくすぐりが無いことだ。削って削って、あまりにもシンプルだけど、それ故の何度聴いても飽きない、そして揺ぎ無い芸の真髄がある。 |
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2010 12,20 23:12 |
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自尊、虚栄、嫉妬、裏切り・・・、と人間の負の側面がこれでもかとぶつかりあう。期待していたよりオーソドックスな展開だったけど、ぐいぐいと惹き込まれた。時間軸をばらばらにして再構成されている割りには分かりやすい。
事実に基づいているらしいが、かなり脚色されているんだろうな。主要な登場人物が「モーリス」チックだったよ。 実名で、それも現在進行形どころか最盛期の人間のドラマを作れちゃうところはすごいと思った。 5億人のユーザーを獲得したFacebookの創設者のマーク。この映画だけ観ていると本当の友だちっていないのかな。孤独なのかもね。 映画で一番大事なことは、同時代を反映しているということ。その意味で、まさに「今」を投影しているこの映画は、やっぱり観るしかないでしょ。 圧巻は、オープニングのマークとエリカの二人の会話。この会話にこの映画の全てが、マークの孤独と虚栄が表現されている。この辺り、上手いねえ、フィンチャー。 毎回、新しい映像表現を魅せてくれるフィンチャーだが、今回は、本城直季風のミニチュア・フォーカスを利用したボートのレース・シーンに注目だ。 ラスト・シーンも沁みる。良い出来。 栗4つ。 ソニー・ピクチャーズ本社試写室にて。
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2010 12,12 23:45 |
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正直、「七人の侍」や「生きる」、「用心棒」など所謂黒澤の名作と言われている作品は、別にぃって感じで、何で黒澤がすごいのか分からなかった。
けれど、この「羅生門」を観て、ははあって平伏したくなるほどの衝撃と感動を覚えた。やっぱり、黒澤ってすげえ。そう思わせてくれたのがこの作品である。 原作は、芥川龍之介の「藪の中」。それでは映画的なタイトルとしてはどうかということなのか、物語の語り部たちが羅生門に集うという形に脚色されている。 途中まで、原作とほぼ同じ展開だか、原作には無いもう一つの視点が脚本に書き加えられている。それが果たして真実なのか、本当のところは原作同様藪の中で映画として、きちんと答えは出していない。どのエピソードにも、これでもかと人間のエゴイズムと虚栄心が投影され、そのために嘘をつく登場人物たち・・・。超一級のサスペンスさながらの緊迫感張り詰める展開だ。 光と影と風を効果的にとらえた演出は、白黒映画なのに、眩いばかりの色彩を観客に連想させる。 カメラワーク、構図、モンタージュ、クローズアップ、音楽、脚本、演出、演技、その全てが完璧。これを完璧と言わず、何を完璧と言おう。 黒澤が生み出した、そして日本映画界が世界に誇れる奇跡の完成度を誇る世紀の一本。 これこそが映画。 どうしようもないエゴと虚栄の中、ラストの人間に対する希望が魂を揺さぶる感動を生む。 栗5つ。黒澤、そして日本映画の最高峰。 京橋・フィルムセンターにて。
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2010 12,11 21:15 |
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有名な冒頭の30分は、コッポラの「ゴッドファーザー」に影響を与えたと言われている。結婚披露宴の中で、登場人物の相関関係を見せる手法は、あざやかだ。
前半のサスペンスは、良く出来ているものの、後半は、かなりつっこみどころも多く、コミカルでもある。 圧巻は、森雅之。老け役でメイクしているが、知らないと本人だとは気付かないほど。悪の権現の権力者と家庭では優しい父親というのを見事に演じている。 主要登場人物の誰もが自分のことしか考えておらずエゴが剥きだし、人間の嫌な部分をこれでもかと見せ付けられる。主人公が一見正義かと思えば、やっていることはとんでもない。 車のライトをいかした夜のシーンは、緊迫感がある。 この映画の全ては、ラストにある。今も昔も悪徳が栄える世の中なのよ。それって変わってない。まあ、言いたいことの全ては、最後の電話にあるんだろうね。 栗4つ。京橋・フィルムセンターにて。
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2010 12,05 23:14 |
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洋の東西を問わず、あらゆるアクション映画の最高峰。ハリウッドのどんなアクション映画もこの「隠し砦の三悪人」の足元にも及ばない。ジョージ・ルーカスが「スターウォーズ」を作るにあたり、この映画から影響を受けたのはあまりにも有名な話だ。
とにかく危機また危機、ハラハラドキドキの展開に息もつけない。特に山名の関所を抜けたあたりからは、これこそジェットコースター・ムービー、怒涛の如く押し寄せる見せ場の数々、二転三転するストーリーは驚きの連続だ。 前半のお城での氾濫、初期黒澤映画のヒーロー藤田進と黄金期のスター三船敏郎の対決、追っ手の銃弾が飛び交う逃避行、火祭りの踊りと映画的な迫力ある見せ場もたっぷり。その中で、妹を犠牲にした姫の哀しみ、欲深い太平と又七のエゴなど人間ドラマとしても奥深いものになっている。 かつて、こんなにもすごいアクション映画が日本にあったのだ。何度見てもぶったまげる面白さ。これぞ、黒澤映画の醍醐味。映画とは、脚本が命。その代表のような映画だ。 まったく持って爽快なアクション巨編。大傑作。栗5つ。 京橋・フィルムセンターにて。
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2010 12,04 23:09 |
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黒澤明のデビュー作。戦時中の作品だが、戦意高揚映画ではなく、アクション映画としても人間ドラマとしても良く出来た娯楽作で、当時の人は、本当に楽しく観ただろうなあ。
僕自身、黒澤作品で最も多くの回数を観ているのがこの作品だ。確かに、この作品よりも映画的に完成度の高い黒澤作品はある。けれども、何度も観ても引き込まれる不思議なパワーがこの作品にはある。 今回上映されたのは、ロシアで発見された散逸部分の12分を加えた現存する最長版。それでもオリジナルには、7分足りない。 この映画の魅力は、とてもよく練られ完璧なまでに役者と一体となった登場人物たちだ。クレジットこそ大河内伝次郎が先に名前が出るが、主役は、完全に藤田進であり、藤田演ずる姿三四郎の朴訥で力強く、無鉄砲で強情だけど心優しい男性像には、憧れてしまう。 宿敵檜垣源之助を演じる月形龍之介の不気味な存在感もなかなかの迫力。寺の和尚役の高堂国典も本当にいい味出している。 美しい日本の町並みにも心奪われる。三四郎と小夜の出会いの印象的な場面は、横浜の浅間神社で撮影されたが、現在との変わりように驚くほどだ。 姿三四郎という男の成長物語としても見ごたえたっぷりだが、黒澤のデビュー作にして驚愕の演出には度肝が抜かれる。特に、子供たちの三四郎の歌とともに街中を流れていくカメラ、そしてそして圧巻は、ラストの決闘シーン。吹きすさぶ強風、なびく薄、生き物のように形を変え流れ行く雲の空の下、歌いながら敵を待つ姿三四郎の場面は、黒澤は自然までも演出したかのような、まるでタルコフスキーもぶったまげの美しいシーンだ。 音楽の使い方も素晴らしく、ものすごく効果的。とても戦時中の作品とは思えぬ完成度だ。 なにはさておき魅力的な藤田の姿三四郎。こんな男になりたいなあ。 ただ、女の人から観たらどうなんだろうなあ。小夜みたいな待つ身の女、現代の女性にはどのように映るんだろう。 栗5つ。 京橋・フィルムセンターにて。
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2010 12,01 22:00 |
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ちょっと二番煎じで、またストーリーも全体構成も散漫な印象が拭えない印象があるが、それでも見所がたくさんある。黒澤作品の中では、かなり埋もれてしまい、あまり陽の目を見ない方かもしれないけど、愛すべき小品になっている。
旅から帰ってきた三四郎だが、強さ故の辛さに苦悩する日々。そこに登場するのが、車屋の少年。過去の自分を投影させているが、この辺りが分かるようで、二番煎じのようで・・・。また、異種格闘もちょっとおちゃらけていて、まあ三四郎の賞金の扱い方などコミカルで面白いけど・・・。 見所は、荒れて道場で酒を飲む三四郎に、怒りもせず酒徳利で足技をしてみせる矢野正五郎の描写。師匠の器の大きさを示すすごい場面だ。 かつての宿敵檜垣源之助を人力車で送る三四郎、そこに現れる小夜、ここでの源之助の台詞が決まっている。 今回の敵は、檜垣源之助の弟たち。兄貴の敵を討とうとするのだが、月形龍之介が源之助と次男の二役を演じているところと、三男の源三郎のキャラ設定に能の動きを取り入れて不気味で独特の雰囲気を出しており、これが最後の最後まで狂気じみていて怖い。 ラストの決闘場面は、雪中で裸足と過酷だが、前作の圧倒的映像美と比べるとかなり見劣りする。 しかし、この作品は、その後、山小屋でのこれまた緊張感あふれる静かな戦いがあり、その場面が興味深い。 そして最後の三四郎の満面の笑みは、すべてを達観し、これまでの苦悩を吹き飛ばし、次なる人生に進みだした一人の男の未来を台詞のない表情だけで示した素敵なものである。この藤田を笑顔を観るだけでも、この映画を観る価値があるね。 栗3つ。 どうせ一作目は超えられない、じゃあ好き勝手気に実験しちゃおうって姿勢が随所にあって楽しい。 京橋・フィルムセンターにて。
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