2011 02,20 21:39 |
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身勝手で我侭で自分のことしか考えない人間、そんな中で人間の素晴らしさを気付かせてくる魔法のような映画。映画や芸術が素敵な時間と温かい心を与えてくれる、こういう映画があるから、それを求めてたくさん映画を観てしまうんだよなあ。 監督は、「第三の男」のキャロル・リード。こんなロマンティクなラブ・コメディも作れちゃうのねえ。脚本は、「ブラック・コメディ」、「エクウス」、「アマデウス」など歴史に残る傑作戯曲をたくさん世に出したピーター・シェーファー。これで面白くないわけがない。 「屋根の上のヴァイオリン弾き」で有名なトポル、学が無いけど可愛い女を演じさせたら右に出るものがいないミア・ファロー、この二人の演技は最高。 妻が浮気をしているのではないかと探偵を雇う夫、その疑いの心が招くとんでもない出来事・・・。もうこの脚本が秀逸。 孤独の人間の中に人間の素晴らしさを芽生えさせる台詞の無い10日間の追跡劇は、なんともロマンチックでユーモラス。これぞ映画の魔法。食材の名前の通りを導く場面、ホラー映画から「ロミオとジュリエット」へと導く場面、追う側からいつの間にか導く側に入れかわるその演出の手腕には、脱帽だ。 映画って本当に素晴らしい。映画の魔法にかかって幸せな気分になる。多くの人にとって忘れられない映画になっているのが頷ける。 栗5つ。これが映画というものだ。 TOHOシネマズみゆき座にて。
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2011 02,19 22:23 |
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並行して進む3つのストーリーは、ありきたりで、予想通りに展開していき拍子抜け。ロンドンの子供のとのやりとりは、まさに「シックス・センス」の二番煎じで苦笑。 唯一、セシル・ド・フランスは、いい感じだったけど、それ以外の俳優陣は退屈だったなあ。 どうでもいいエピソードばかりで、話は冗長。あまりに中身が無い展開には辟易してしまう。 エンターテイメントとしても失敗、人間ドラマとしても見所無く、残念な映画。 栗2つ。観なくていいと思う。 丸の内ピカデリー1にて。 |
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2011 02,11 13:14 |
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にっし君から電話。「ソーシャル・ネットワーク観にいきましょうよー」と言うので、すでに観ているけど、試写室だったし、面白かったから映画館でも観てもいいなあと思っていたので、行くことにする。
窓を開けると外は、雪が舞っていた。それほどひどい降りではなかったので、出かける。公開からだいぶ日が経っていたのでシネコンではすでに小さいスクリーンに移っており、久しぶりに松竹のメイン館である丸の内ピカデリーへ。電車がちょうどいいタイミングでやってきて、家から映画館まで16分という最短記録で到着。 丸の内ピカデリー1(2も・・・)は、スクリーンが大きくて、2階席は観やすくて好きだ。 2回目の「ソーシャル・ネットワーク」。2度目でも面白かったねえ。全然飽きなかった。 やはり、オープニングの二人の会話のシーンは、秀逸。畳み掛ける台詞の応酬がかみあわず、それでいていやそれこそが登場人物の性格を浮き彫りにさせることに成功している。この映画、このファースト・シーンが全てだと言っていいほどだ。 前回は、全く気がつかなかったけど、アイデアを盗用されたと訴える双子、一人で演じてたんだよねえ。そう知って観ると、確かに「あ、ここ合成っぽい」ってところがあるんだけど、びっくりするくらい演じ分けられていて面白かったな。 BARの外の寒い環境での会話の場面やボートレースのシーンなど映像表現も面白い。オープニングの会話の後、広いハーバード大学構内を走り抜けて寮に戻っていくカメラワークもいいよなあ。 演技もいいから、見入っちゃうね。 という訳で、二度目もものすごく楽しめた。 丸の内ピカデリー1にて。栗4つ。
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2011 01,10 17:17 |
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上映している映画館の中で一番スクリーンが大きいところで観ようと思い新宿ミラノ1へ。かつては、新宿一の映画街だった歌舞伎町、バルト9や新宿ピカデリーのシネコン化に押され、大劇場の新宿プラザが閉館、ミラノの周りの中小映画館も軒並み閉館していた。映画もエロも全体的に歌舞伎町からパワーが無くなっている感じがした。 日劇、テアトル東京、日比谷映画、有楽座、日比谷スカラ座とかつての映画館らしい大劇場が姿を消し、ついこの間まで東京で一番の収容人数とスクリーンの大きさを誇るのがここ新宿ミラノ1だった。昔は、新宿ミラノ座と言われていたね。キャパシティは、単独映画館としてはいまだ東京で一番大きいが、スクリーンの大きさでは、ワーナーマイカル海老名、TOHOシネマズ六本木ヒルズ、ユナイテッドシネマ豊洲に抜かれた。 されど、新宿ミラノ1には、スクリーンの前に幕があるのだよ。映画ファン感涙。そして映画館ではろくなものが食べられないけど、ここは館内にモスバーガーがあるという貴重な映画館なのだ。 でも、今時座席指定じゃなく、入場に並ばせるのはちょっと不満。 と映画館の話が長すぎた。 肝心の本編だけど、音楽ファンなら楽しめるが映画ファンには消化不良という感じか。お決まりの展開となんのひねりも無い脚本は、退屈きわまりない。陳腐の台詞のオンパレードやありきたりのラブロマンスには、辟易してしまう。 されどどうせ観るなら映画館をお勧めする。大音量の音楽とアギレラ、シェールの歌声を度迫力のボリュームで聴けるのは価値がある。アギレラは、顔と体からは想像できないほどパワフルな歌声とダンスを披露。 声量や迫力で圧巻のアギレラだが、シェールの存在感はまた別格で、歌って技量じゃなく心なんだなあと思わせてくれる。 このところすっかりレディGAGAにお株を奪われたが、エロ奇抜衣装の元祖は、シェールだよねえ。 ドラマを期待していくと肩透かしだけど、豪華なレビューを観たと思えば楽しめる。 栗3つ。新宿ミラノ1にて。 にっし君が「シェールって男だと思ってた」と言っていた。違うよ。違うよねえ? あ、それからLAのセレブは、やっぱりルブタンの靴を履いているんだということが確認できたことが収穫か?(笑) |
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2010 12,24 22:43 |
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『晩春』が日本人の心の美しさを表しているとすれば、『東京物語』は日本人の切なさを象徴している。 家族というものを親と子、それぞれの視点から描いているが、この頃の日本で既に親から見た家族の喪失を描いていることに驚く。昔は、家族の絆って強かったとのだろうと勝手に思っていたけど、意外と今と変わらなかったのかもしれない。 杉村春子演じる一見嫌味な長女だが、この人物こそ市井の人々の代表なんだろう。目の前の事象に上手に対処し、喜怒哀楽も普通にあるが、一方で物事に対して冷めていてエゴむき出し、自分さえ良ければそれでいいタイプだ。 対照的に原節子演じる死んだ次男の嫁は、他人なのに一番優しい。あまりに親切で優しいその姿だが、時折見せる冷たい表情に偽善的な匂いも感じないではない。ラスト「私、ずるいんです」とういう台詞を原に言わせる脚本は、ものすごい。それに対する笠智衆の台詞は、涙無しには観られない。 どうしようもない孤独と喪失感、切なく悲しい展開に、でもこれが人生なのだろうと妙にしみじみしてしまう。 たんたんとした日常の中に人間というものを描ききった稀有な作品。 栗5つ。 神保町シアターにて。
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2010 12,24 19:38 |
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何度も観ているのに、毎回惹き込まれる。 娘が嫁に行く。たったそれだけのドラマなのに、エピソードは、日常どこにでも転がっていることなのに、何故にこんなにもドラマッチクで感動的なんだろう。 この映画の原節子の美しさといったらもう世界一。まるで空から舞い降りた天女のよう。 七里ガ浜での自転車の原節子の美しさと、再婚しようとする父親を睨みつける厳しく冷たい美しさの対比もとてもいい。日本映画史上、絶世の美女No.1だ。これは揺ぎない。 この映画はまさに、日本人の心の美しさそのものだ。日本的心の美の結晶と言っていい。 そして、ラストのなんとも言えない場面は、永遠に心の中に焼き付けられる。 栗5つ。なんでもない日常こそが感動的である。 神保町シアターにて。
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2010 12,23 14:28 |
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そんな中、ネタ切れの苦肉の策でついに落語かと思ったが、これがまた場内ほぼ満席状態で大ヒットみたい。ただ、観客の中心は、60代より上といった感じか。 さて、志ん朝師匠以外は、生で観たことがない方ばかり。テレビやDVDだとどうしても集中できないので、やはりこうした機会はありがたい。 八代目 桂文楽 「明烏」('68) 優しそうで人品良さそうで大人しそうなお爺さん。そんな印象だった先代の文楽師匠だけど、落語に入るや驚くほど芸達者。次から次に見た目のキャラからは想像できない人物が飛び出てくる。人物描写が素晴らしく、人間がいきいきとしていた。 三代目 古今亭志ん朝 「抜け雀」('72) 若いっ。志ん朝師匠は、やはり華がある。いい男はそれだけで得だ。そしてこの人の場合、そこに素晴らしい芸がある。 一切の淀みない語り口は、少々早口に思えるのだけど、それでいて登場人物は、瞬時に現れては消え、現れては消えていく。 風格というか貫禄というか、若くても圧倒的な力が漲っていた。 十代目 金原亭馬生 「親子酒」('78) なんとなーく漠然と志ん朝師匠がすごいと思っていたけど、今回の4つの作品の中では、この馬生師匠が一番素晴らしかった。こんなすごい師匠がいたなんて、生で拝見できなかったことが悔やまれる。 こんなにも人間の心と感情を表現できる人がいたんだなあ。人間への洞察が鋭いのに、優しい眼差しを感じた。 六代目 三遊亭圓生 「掛取万歳」('73) 人情噺での鳥肌が立つような感情表現が圧巻だが、こうした滑稽ものも器用にこなすんだなあ。 ダレがちになりがちなこの噺を50分、観客をひきつけるのだからすごい。 まさに何でもこなす天才。ここまでできちゃうと自分でやってても気持ちいいだろうなあ。 4人の落語に共通しているところは、無駄なくすぐりが無いことだ。削って削って、あまりにもシンプルだけど、それ故の何度聴いても飽きない、そして揺ぎ無い芸の真髄がある。 |
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2010 12,20 23:12 |
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事実に基づいているらしいが、かなり脚色されているんだろうな。主要な登場人物が「モーリス」チックだったよ。 実名で、それも現在進行形どころか最盛期の人間のドラマを作れちゃうところはすごいと思った。 5億人のユーザーを獲得したFacebookの創設者のマーク。この映画だけ観ていると本当の友だちっていないのかな。孤独なのかもね。 映画で一番大事なことは、同時代を反映しているということ。その意味で、まさに「今」を投影しているこの映画は、やっぱり観るしかないでしょ。 圧巻は、オープニングのマークとエリカの二人の会話。この会話にこの映画の全てが、マークの孤独と虚栄が表現されている。この辺り、上手いねえ、フィンチャー。 毎回、新しい映像表現を魅せてくれるフィンチャーだが、今回は、本城直季風のミニチュア・フォーカスを利用したボートのレース・シーンに注目だ。 ラスト・シーンも沁みる。良い出来。 栗4つ。 ソニー・ピクチャーズ本社試写室にて。
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2010 12,12 23:45 |
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けれど、この「羅生門」を観て、ははあって平伏したくなるほどの衝撃と感動を覚えた。やっぱり、黒澤ってすげえ。そう思わせてくれたのがこの作品である。 原作は、芥川龍之介の「藪の中」。それでは映画的なタイトルとしてはどうかということなのか、物語の語り部たちが羅生門に集うという形に脚色されている。 途中まで、原作とほぼ同じ展開だか、原作には無いもう一つの視点が脚本に書き加えられている。それが果たして真実なのか、本当のところは原作同様藪の中で映画として、きちんと答えは出していない。どのエピソードにも、これでもかと人間のエゴイズムと虚栄心が投影され、そのために嘘をつく登場人物たち・・・。超一級のサスペンスさながらの緊迫感張り詰める展開だ。 光と影と風を効果的にとらえた演出は、白黒映画なのに、眩いばかりの色彩を観客に連想させる。 カメラワーク、構図、モンタージュ、クローズアップ、音楽、脚本、演出、演技、その全てが完璧。これを完璧と言わず、何を完璧と言おう。 黒澤が生み出した、そして日本映画界が世界に誇れる奇跡の完成度を誇る世紀の一本。 これこそが映画。 どうしようもないエゴと虚栄の中、ラストの人間に対する希望が魂を揺さぶる感動を生む。 栗5つ。黒澤、そして日本映画の最高峰。 京橋・フィルムセンターにて。
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2010 12,11 21:15 |
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有名な冒頭の30分は、コッポラの「ゴッドファーザー」に影響を与えたと言われている。結婚披露宴の中で、登場人物の相関関係を見せる手法は、あざやかだ。
前半のサスペンスは、良く出来ているものの、後半は、かなりつっこみどころも多く、コミカルでもある。 圧巻は、森雅之。老け役でメイクしているが、知らないと本人だとは気付かないほど。悪の権現の権力者と家庭では優しい父親というのを見事に演じている。 主要登場人物の誰もが自分のことしか考えておらずエゴが剥きだし、人間の嫌な部分をこれでもかと見せ付けられる。主人公が一見正義かと思えば、やっていることはとんでもない。 車のライトをいかした夜のシーンは、緊迫感がある。 この映画の全ては、ラストにある。今も昔も悪徳が栄える世の中なのよ。それって変わってない。まあ、言いたいことの全ては、最後の電話にあるんだろうね。 栗4つ。京橋・フィルムセンターにて。
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