2014 09,07 10:13 |
|
サン・マルコ寺院は、ヴェネツィアのシンボルと言える。外観が修復中だったのがちょっと残念。また来る機会はあるかなあ? いつ行っても大行列だったので、船に乗る前に来た時には入場を断念。今日は、午前中に来たが、それでも100人近く並んでいた。しかし、行列は意外と早くはける。入場してまっすぐ進めば寺院内部、右の階段を上って行くと博物館になっており、こちらは有料。有料エリアは、モザイク画やタペストリーの展示が素晴らしい。また、二階から外に出られるのでサンマルコ広場やドゥカーレ宮殿前を見下ろすことができる。 ここが二階の屋根から見下ろしたサンマルコ広場。 鐘楼も目の前にデーンとすごい迫力。 ドゥカーレ宮殿前から海を臨む。 |
|
2014 09,06 23:26 |
|
夕暮れ時から、ヴェネツィアの街を散策。まだまだすごい観光客の数。 海に浮かぶヴェネツィアだけにシーフードのお店が多い。 屋外席の店が多い。何故かピザ屋がたくさん並んでいた。 夜のサンマルコ広場。 マンホールのようなところが水があふれて水たまりになっていた。雨が降ったわけではない。夜は、この水たまりに広場の建物と照明が映り込んで綺麗だ。 1720年創業のヴェネツィア最古のカフェ、フローリアン。カフェ・ラテ発祥の店らしい。屋外席では、生演奏があり、大盛り上がり。 同じ生演奏のカフェが反対側にもう一軒あり、互いに競いあっていた。 広場の回廊は、アーケードになっていて観光客目当てのたくさんのお店がある。 夜遅くまで観光客がいるので、開いている店もいくつかある。 ハードロック・カフェもちょっと洒落ている。店前の運河には、ゴンドラがたくさん係留されている。 ホテルに戻って、部屋の窓を開けるとこの景色。ロマンチック過ぎるぜ。 |
|
2014 09,06 19:00 |
|
サンマルコ寺院とともにサンマルコ広場の二大ハイライトの一つ。19時まで開館している。閉館の1時間ほど前に入ったら、空いていてゆったり見られたが、閉館の30分ほど前くらいから閉まり始める部屋もあった。 広い中庭を囲むように宮殿が建っている。館内には、行政、司法、立法の大広間があり、そこには大きな絵画が飾られている。特に世界最大の油絵と言われるティントレットの「天国」は圧巻。 館内は写真撮影禁止だから外観の写真ばかりだけど、上部の意匠も面白い。 ドゥカーレ宮殿とかつての牢獄を繋いだ「ため息橋」。現在、牢獄として使われていないが、当時の牢屋そのままに見学することができる。囚人がこの橋を渡って牢獄に行く際に、娑婆との別れにこの橋でため息をついたためにそう名付けられたとのこと。 現在では、ゴンドラに乗りこの橋の下でキスをすると永遠の愛で結ばれるという言い伝えがある。それをテーマにしたのが、子供の頃観た映画「リトル・ロマンス」だ。ダイアン・レーン、初々しかったなあ。監督は、ジョージ・ロイ・ヒル、大好きな映画作家のひとり。ローレンス・オリヴィエも出ていたよね。 |
|
2014 09,06 12:07 |
|
船を降りた。ヴェネツィアの中心街まで行かねばならないのだが、来た通りにピープルムーバーでローマ広場に戻って水上バスか、なるべくなら簡単に安く行きたい。水上タクシーは、100ユーロだというので、高いよなあ。この辺りの水上バス乗り場からそのまま行けるのか、チケット売り場で聞いてみると、サンマルコ広場行きがあるらしい。港から5分ほど歩いた場所に水上バス乗り場があった。本当は、ホテルまで水上タクシーで優雅に行きたかったが、たかだか10分乗るだけで1万4千円は高いよねえ。 水上バスで乗り換え無しでサンマルコ広場まで。意外と近かったぜ。 帆船も停泊してた。帆船での旅は、今回乗った船より遥かに高額なんだよね。 とても未来的なデザインのクルーザーが泊まっていた。お金持ちなんだよね。 サンマルコ広場が見えてきた。ものすごい数の観光客だけど、ここからはホテルまでスーツケースを転がして行かねば。 |
|
2014 09,06 11:09 |
|
一週間前に見た塔が見えてきた。なんという眺めだろう。本当に現代の街とは思えない。 サンマルコ広場の塔とドゥカーレ宮殿が見える。 数々の映画で有名なホテル・ダニエリ。 サン・ジョルジョ・マッジョーレ島は、そのほとんどがサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会だ。 教会の前の黄色い柱は、アートイベントのトリエンナーレのオブジェだ。実は、今年はトリエンナーレの建築展の年で、ここに杉本博司のガラスの茶室が展示されていたので見たかったのだが、いろいろあって行けなかった。これが心残りかな。 元工場であった建物を改装してホテルにした、ヒルトン・モリノスタッキー。今回、ここでの宿泊も考えたけど、どこに行くにも船に乗らないとならないため、パスした。 港に着いたけど、数千人の乗客を一度に降ろすことができず、船内で待機。下層階の乗客から順に降ろしているのだ。僕の階は、一番最後。しかし、船室からは早々に出されてしまうので、皆、カフェテリアやラウンジの椅子やソファでなすすべもなくぼうっとしている。3時間ほど待って、やっと下船。疲れたねえ。 |
|
2014 09,05 23:11 |
|
2014 09,05 15:33 |
|
入り江の向こうに要塞らしきものが見えたので行ってみた。ロブリイェナツ要塞というそうで、旧市街の城壁と同じチケットで入場できるらしい。でも、旧市街からちょっと離れているのでここまで来る人はわずか。数人しかいなかった。 手前の入り江で海水浴や日光浴する人たち。地元の人か、すぐ近くに小さなホテルがあったので、そこの宿泊客か。砂浜がなく小舟を係留する小さな桟橋しかなく、そこに皆寝転がっていた。 要塞からみた旧市街はとても綺麗。手前の海の色がエメラルドで美しい。 旧市街の海側が高台になってせり出しているのがよく分かる。 時間があったら、ここで泳いでみたかったな。カヌー教室もやっていた。 途中、咲いていた花。 バスで港に戻る。うん、ここはまたゆっくり訪れたい。 |
|
2014 09,05 14:15 |
|
旧市街は、世界遺産に登録されているだけあって、とても賑やかだ。今回は、滞在時間が短くて食べられなかったけど、クロアチア料理も美味しそうだったな。 街を囲っている城壁は、想像していたより高く、城壁のある門から街へ入る細い道は、階段になっている。海側も丘のようにせり出していて、起伏のある街になっている。 メインゲートのピレ門から目抜き通りを歩いて突き当たりがルジャ広場。街の中心だ。1516年に建設されたスポンザ宮殿や教会、修道院が集まっている。1667年にこの地を大地震が襲ったが、スポンザ宮殿はその際に被害を受けなかった数少ない建築だそうだ。 聖ヴラホ教会。ルジャ広場にある教会。中に入ろうとしたら、「今日はもう終わり」と言われ入れなかった。 ルジャ広場の後方に旧港がある。遊覧船の呼び込みのかけ声が多い。複数の遊覧船会社があるようで、客引きに必死だった。大型船は、少し離れた新しい港に着くので、こちらは小型船のみ。 港には、寿司バーがあった。 海の色が紺碧。 カフェの屋外席。ランチョンマットの色が皆違っていて面白い。 城壁内は、細い路地が多い。 ガラス細工の土産物。 ドゥブロヴニクのメインストリート、プラッツァ通り。 高台には、聖イグナチオ教会があり、その前庭がカフェになっている。 聖イグナチオ教会は、祭壇のフレスコ画が見事だった。 セルビア正教会。こちらの教会も入った途端に、「今日はおしまい」となりすぐ退場。 天井の模様が素晴らしい。 城壁の上を歩けるのだけど、今回はあまり時間なかったので、また次回の楽しみに取っておく。次回は、あるのか? |
|
2014 09,05 10:16 |
|
クロアチアのドゥブロヴニク、ここもずっと憧れていた地だ。大型船が入港できる港は、旧市街からは離れていてバスで15分ほど。車は一方通行の道を行きは遠回りするが、歩けば直線距離で行けたようで30分ほどだったそうだ。車道はものすごく狭いので、一方通行の道が多い。 旧市街のメインゲートであるピレ門の観光案内所で街の地図をもらい、ロープウェイの乗り場の場所を聞く。 日本ではゴンドラが吊るされているのはロープウェイって呼ぶけど、外国では吊るされていようが斜面を這っていようが、どちらもケーブルカーだよね。乗り場の手前の売店でチケットを売っていたので、そこがチケット売り場だと思いチケットを買う。乗り場に着いたら、チケットを買う人で大行列。それに巻き込まれず、すぐに乗ることができてラッキーだった。 内戦で破壊されたロープウェイは、2010年に復活した。旧市街の眺めが素晴らしいスルジ山の頂上へと向かう。 山頂は晴天だったが、ちょうど旧市街の真上に雲がかかっていて太陽の光を隠していた。本当は、紺碧の海にオレンジ屋根の美しい街が見られたはずなんだけどね。 ロープウェイが次から次に観光客を運んでくる。ロープウェイもオレンジだ。 真ん中に建っているのは要塞。 左手にあるのが旧港。かつての中心の港は、現在、観光遊覧船の発着所。 遠くに見えたホテル。かなり素敵。今度ぜひ宿泊したい。リクソス・リベルタス・ドブロヴニクというホテルらしい。 ナポレオンがこの街を占領した際に建てた十字架。内戦で破壊され再建されたものだが、現在は、主戦場だったこの場所の慰霊碑的象徴だそうだ。ちょっと前までこの周辺は、未処理の地雷がたくさん埋められていた。 |
|
2014 09,05 09:00 |
|
ドゥブロヴニクのことを知ったのは、大学生の頃だと思う。ユーゴスラビア崩壊の内戦によって傷つけられたこの街を紹介するテレビのドキュメンタリーでだ。 城壁に囲まれたこじんまりした街は、オレンジの屋根で統一され、紺碧のアドリア海との完璧な調和の美しさで有名だ。ナポレオンもこの街を侵攻した際に、あまりの美しさに街を破壊できなかった。しかし、その美しい街は内戦でボロボロになる。壁という壁は銃弾と砲弾を浴び、観光資源のケーブルカーも無惨に破壊された。 それから約20年。現在のドゥブロヴニクにはユネスコの支援で修復され、今またかつての美しい姿を取り戻した。観光客が行くところしか行かなかったが、そこは街も人々も明るく、ここがちょっと前まで悲惨な内戦の舞台だったとは思えぬほどだった。 |
|